現在取り掛かっている作品は「ミリダラ」のヒラリー・スワンク二枚目です。
今回はカラーですが、パンフの中から探した参考写真がとっても小さくて(3×3,5cm)、うまくいくかなぁなのですが。
さてこの「ミリオンダラー・ベイビー」ですが、イーストウッド主演ということでは前作「ブラッドワーク」以来二年ぶりの、最新作にし
て最高傑作とも言われる作品です。
登場シーンでは、いつもながら「お久しぶり〜」と声をかけてしまいました。もちろん心の中でですよ(笑)
次回主演作はいつになるかまだ未定ですので(「硫黄島〜」は監督のみ)余計力が入ってしまいました。
彼は今回は古ぼけたボクシングジム「ヒットピット」のオーナー兼トレーナー、フランキー・ダンとして。
なにやら娘と深刻な仲たがいがあって絶縁状態、それを修復しようと手紙を書き送り続けるも全て返送され、、、
そんなダンの腕を見込んでトレーナーになって欲しいとやって来たボクサー志望の女性マギー(ヒラリー・スワンク)、
そして頑として断るダンを何とか取り成そうと仲介役を務める、元ボクサーでジムの居候の雑用係スクラップ(モーガン・フリーマン)
と、このそろいもそろって家族に恵まれない孤独な三人の息の合い方が実によいのです。
脚本、演出のうまさと相まって、短時間の内にそれぞれの人物像がくっきり浮かび上がり、邪念がなく市井の人物でありながらボクシング
一途に生きて、いっそ高貴といいたいほど魅力的。
時にユーモラスに、そして細部をゆるがせにしない圧倒的なリアリティーをもって観るものを過酷でストイックなボクシングの世界へと
引き入れていきます。
特にマギーとフランキーのトレーニングシーンの格好良さは必見ですよ。
よく思うことなのですが、イーストウッドが主演すると映画の波長(?)が定まるといった感じがあります。
先だって放送された「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で彼自身も触れていましたが、基本的にイーストウッドは「聞く人」の演技
だと思うのですね。
いかにうまく語るか、に全てのエネルギーを傾けようとする俳優さんたちの中にあって、この持ち味に私はしびれるのですが、その「聞く
人」が何かを話すとき、一言一言が聞くものの胸に届くように思うのです。
内省という精神的な裏づけの重さあってこそでしょうが、今回も彼はフランキー・ダンと言う人物像を通してそれを体現しているかのよう
です。
また今回は共演者も素晴らしく、ヒラリー・スワンクは直球勝負のピッチャーの様に力強く清清しくかわいい。そしてフランキーとマギー
の出会いから最後までを慈悲深くじっと見守り語り部としての役を務めるモーガン・フリーマンも見事。
ところでこの映画は後半大きな転回(生易しいものではありません)があって、もしまだご覧になっていない方はここから読まれないほう
がいいですね。できればまったく白紙の状態で第一回目は思いっきり打ちのめされてください(笑)
言葉を失うとはこういうことかと実感できるでしょう。
この衝撃は自分で思っている以上に深いところまでずしっとくるのですが、ただ不思議な事に翌日目が覚めるとまわりが明るく見える感じ
がするのですね。
それはこの映画が背景にもつ倫理感、本物の成功論、そして信頼と言う絆の圧倒的な強さがあるからでしょうか。
そしてこの映画、二度三度と繰り返して観ると、如何に脚本がよく練られ細部まで考え抜かれているかということに気付かされます。
ある一つのシーン一つの言葉が、後のシーンの伏線、行動の手がかりになっていて、観直してみたときに後から気付く事がたくさんあるのですね。
イーストウッド監督は今回も、断念するという言葉が相応しいほどに抑制をかけ、結末が観る人の心の中に完結するという手法を使って
いるので、途方もなく重いものを受け取ることになります。もっと言えばフランキー・ダンの心の慟哭さえも聞こえてくるような、、、
巧妙にもこの映画は前半がハリウッド映画、後半から文芸映画へと転換していくようなつくりになっていて、前半フランキーとスクラップ
の二人が、やれ靴下の穴だとか漂白剤がどうしたこうしたと絶妙におかしい遣り取りをみせ、デンジャーくんという場違いに天然な青年の
エピソードなどを織り込んでいきながら、マギーはどんどん強くなっていきます。
そして試合に勝ちはじめ、時折ハラハラさせるものの胸のすくようなKO勝ちを重ねていくので、ついつい観客もすっかり入り込んでしまい、
ラスト30分思いっきり衝撃をくらってしまうのですね。
うって変わって静の場面になるこの30分のリアリティー、正視できないような現実に向き合わされる思いがすると同時に、本物の魂の会話
が交わされて、かつて味わったことのない悲劇の痛切さというものを実感させられます。
それにしてもこうした作品がアメリカで作られ評価と成功を勝ち得るという現代、ジャンルでいうと、これは能でいうところの「負け修羅」
だと思うのですが、かすかに近松の心中物の匂いすら感じさせてこの味わいの奥深さを、まだ本国で一度も負けたことのないアメリカが
ついに知るところとなったのかと感慨深いものがあります。
最後に、作品中フランキーは毎日アイリッシュ・カトリックの教会に通う敬虔な人―実際は神父にかなり疎まれている様子―として描かれ
ているのですが、神父の言葉は完全にはフランキーの心を救いきれず救済の限界のようなものを感じたのですが、むしろこの133分の一本の
映画自体が、現代に再現された三人の名優による三位一体の宗教劇のように感じられるのが興味深いところでした。
そういえばイエス・キリストも布教わずか三年にして33歳で磔刑に処せられましたが、マギーの短いボクサー人生も年齢的に全く同じ設定
でした。
ある意味でマギーとフランキーは、悔恨や挫折、喪失感そして断念といったものを抱えて生きる人たちに捧げられた現代の聖像のようでも
ありました。見守るスクラップの視線の何と厳粛にして慈悲に満ちていることか、、、
イーストウッド映画なので、またまた長くなってしまいました(笑)
駄文を書き並べてしまいましたが、とにかく素晴らしい映画、第一級文学作品に比肩する名作ではないかと思います。
では今回はこの辺で。
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