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ただ今制作中F&映画「硫黄島」プロジェクト製作会見

■2006年6月5日

ただ今制作中作品は、ここのところ益々輝きを増している感のある篠原涼子さんです。
実はMIZさんとこの涼子さんの間に鉛筆画ポートレートが一枚あるのですが、 どうも上手くいかなくて保留状態になってしまいました。 ボツにするには少し心残りなので、時間をおいてもう一度描きなおしてみようかと思っています。

さて涼子さんですが、現在セカンドブレイクともいえそうな活躍ぶりですね。
彼女の言によると、01年の「ハムレット」(蜷川幸雄演出)オフェーリア役出演が転機だったとか。 そういえばこの2年後に結婚した市村正親さんと初共演した作品でもありましたね。

久々のエッセイは、今回もまたまたイーストウッド映画最新作に関する内容となってしまいました(笑) もともと昔からの長〜いファンだったというのもあるのですが、 私がたまたまサイトを始めた前後より彼の活躍があまりにもめざましいので、 この人の動向そして作品から目が離せないといった状況なのですよ^^ よろしければ駄文に付き合ってやってくださいね。

今春4月28日、イーストウッドが実に43年ぶりとなった昨年の4月の来日に続けて三たび来日し、 「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」二部作の製作会見に臨席しました。
当日の朝、テレビで来日しているという情報を聞いたので、この日の夕方のニュースを手始めに、 週末、翌週のワイドショーとあちらこちら新聞のテレビ欄を見ては断片的な映像を拾い集め、 この一大プロジェクト製作会見の模様をなんとか垣間見ることが出来ました。

そもそもイーストウッドの製作会見なんて本国アメリカでもほとんど聞いたことがなく (監督作品としては初めて)、それが今回日本で行われるということですから、 超のつくプレミアム会見であるのは間違いありません。 それだけに彼がいかにこのプロジェクトを大切に、また重大なものとして思いを込めているかが うかがえようというものです。

750名という報道陣を前にして、イーストウッドを中心に横一列に並んだ日本版出演者、 渡辺謙、二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童さんたち五人の姿がありました。
映画の中心人物である硫黄島戦総司令官栗林忠道中将を演じる渡辺謙さんは、 役柄の重さに対する真摯な思いと決意を、 心優しい兵士西郷役の二宮和也君は、ピーナッツの殻をポロポロこぼしている イーストウッド監督を見て仲良くなれそうと思ったと楽しいエピソードを披露しました。

少し話題が飛びますが、後日別の番組で聞いたところによると、 渡辺謙さんが11年前から飼っているラブラドールレトリバーの愛犬の名前は、 ハリー君というのだそうです。
謙さんとは、奥様の南果歩さんにもやきもちを焼くほどの相思相愛ぶり。
もちろんこの映画の撮影にも同行、スタッフの皆から頭をなでてもらったそうですよ。
そして謙さんは「これからの夢は」という質問に、今現在が夢のようと答えていらっしゃったのが 印象的でした。 ちなみに「共演してみたい俳優さんは」という質問には、 超えられない壁のような存在、次回は俳優として是非共演してみたいとイーストウッドの名前を あげられました。

話は戻って、今回両二作品を監督するイーストウッドは会見の席で、 今度の映画は戦いではなく人間について描いたものであることを強調、 どっちが勝ったか負けたかではなく、主に若者たちが人生を中断され命を失ったことについて 描いているとのことです。 硫黄島に眠っている多数の霊に敬意を表すとともに、平和を享受できる時代がきてよかったとも。 「できるかぎり日本人の気持ちに近づけるように努力した」というイーストウッドの言葉を聞きながら、 私はある程度予感はあったのですが、やはり胸迫る感慨がありました。

今、予感があったなんて思わず書いてしまいましたが、 私はイーストウッドと日本との間に、なぜか見えないところで繋がっているかのような絆をずっと感じていたからなのです。
会見での「私は撮影現場では日本語がわからない唯一人の人間だったよ。」という言葉に感心しながら、 ふと思い起こされるのは64年の映画主演第一作「荒野の用心棒」のことです。

製作、監督、そして共演者に至るまでイタリア、ドイツ、スペインといった、完璧に アンチUNITED NATIONSの人たちの中に、唯一人アメリカ人の彼が主演俳優として参加した映画だったのですね。 たしか日本では65年末のお正月映画として公開されましたが、当時私は偶然この作品を観る機会があって、 その時は予想外に大変面白かった印象を持ったものです。そしてそれから数年たった学生時代テレビで初放映されたころに、 私はイーストウッド演じる主人公が「日本」を体現していたのではないのだろうか、とふと思ったのです。 理由の一つには彼の演技スタイルから、もう一つはストーリーの持つ暗喩的な意味合いからなのですが、 そもそもこの作品は日本映画「用心棒」(黒澤明監督)のリメイク作でしたから そう思ったとしてもあながち的外れでもないのではないかと思っています。

しかしイーストウッドはその後さらに別の映画の中で、もう一度「日本」を演じたように感じました。 どの作品が該当するか、皆さんよろしければ探してみてくださいね。
そしてその両作品の中で、なんとこの人は自分の母国であるアメリカを差し置いて(というよりむしろ敵にまわして)、 半死半生の目にあいながら最後に自分が(すなわち日本が)勝ってしまうという役を、 それも鳥肌が立つほどの格好よさとすさまじい迫力で演じているように見えたのです。 一作だけならば偶然ですむところですが、意図して二作も撮ったその真意、 理由は一体何なのだろうかと長い間気になっていたのです。

実は今回の「硫黄島〜」二作品以外に、イーストウッド映画に「日本」というテーマ、キーワードがはっきりと 出てきたことは一度もありません。その上40年以上も公式来日がなかったので、一部には イーストウッドは日本が嫌いなのではとまで思われていたとか。
そういった中で、私が長年に渡ってイーストウッドと日本との不思議な繋がりのようなものを 感じていたのは以上のような経緯があったからです。
そして今回、それこそ初めてイーストウッド映画の中で日本というテーマが前面に出てきたわけですね。

太平洋戦争最大の激戦地の一つ硫黄島戦を、日米双方の視点から二作品で描くというような試みは、 映画史上初めてのことだそうです。
このような企画で今回イーストウッドがしようとしていることは、 双方の視点を獲得することで初めて見えてくる真実があるのではないだろうかということでしょうか。
物事を見つめる目をいったん自分から引き離し、相手側に置いてみたら一体どう見えるのだろうか ともいえそうですね。これまでにもいくつかの重要作品において、ある意味で神のごとき視点の高さといったものまで 感じさせるようなイーストウッドのことなので、二作品完成の日が本当に待たれます。

ところでこの製作会見が行われたのは4月28日でした。
前日27日に、一日だけ許可が下りた硫黄島でのこれも史上初となるロケを行い、 これには渡辺謙さん一人が同行し、この日で全撮影を終了したそうです。
その足でイーストウッドは来日し、28日の製作会見となったわけですが、
おりしもこの日は今をさかのぼること54年、 1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効の日にあたり、この日より日本の主権が回復し国際社会に復帰した、 独立記念日ともいえる日だったのですね。
イーストウッドに偶然にも、などといったら彼はあのフランキー・ダンのように ちょっと困ったような顔をしてそっと目配せをしてくれたでしょうか、、、

「父親たちの星条旗」は日本10月28日(土)公開、そして
「硫黄島からの手紙」は同12月9日(土)公開だそうです。

まとまらない長文・駄文を最後まで読んでくださってありがとうございました。
それでは今回はこのへんで。

    「硫黄島」二部作日本公式サイト→http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/

    「硫黄島からの手紙」関連書籍
          ・栗林忠道著「『玉砕総指揮官』の絵手紙」(小学館文庫)
          ・梯久美子著「散るぞ悲しき    硫黄島総指揮官・栗林忠道」(新潮社)
              (06年 第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)



ただ今制作中E

■2005年11月3日

私は描き始めてだいたい8〜10時間過ぎる頃、このコーナー用に一度スキャナーで取り込むという作業を習慣にするよう心がけているので すが、実は文を考えるということがかなりおっくうな性格なのでついつい放置してしまい、PCの中にただいま制作中画像がやたらたまってきているといった 状態です(笑)。

で、本当の!ただいま制作中作品は、来年のお正月映画(?)ブラピ&ジョリーの「スミス夫妻(仮)」で、この絵は二人を別々に描いて 後でフォトショップでなんとか合成したいと考えています。丁度今ブラピを描き終わったところで、これからジョリーの方にかかり ます。グラサンカップルいかがなることやら^^;

さてお次は、少し早めにクリスマスイラストに取り掛かりますが、う〜ん、何かよいアイデアは、、、


ただ今制作中D+映画「ミリオンダラー・ベイビー」

■2005年7月21日

現在取り掛かっている作品は「ミリダラ」のヒラリー・スワンク二枚目です。
今回はカラーですが、パンフの中から探した参考写真がとっても小さくて(3×3,5cm)、うまくいくかなぁなのですが。

さてこの「ミリオンダラー・ベイビー」ですが、イーストウッド主演ということでは前作「ブラッドワーク」以来二年ぶりの、最新作にし て最高傑作とも言われる作品です。

登場シーンでは、いつもながら「お久しぶり〜」と声をかけてしまいました。もちろん心の中でですよ(笑)
次回主演作はいつになるかまだ未定ですので(「硫黄島〜」は監督のみ)余計力が入ってしまいました。

彼は今回は古ぼけたボクシングジム「ヒットピット」のオーナー兼トレーナー、フランキー・ダンとして。
なにやら娘と深刻な仲たがいがあって絶縁状態、それを修復しようと手紙を書き送り続けるも全て返送され、、、
そんなダンの腕を見込んでトレーナーになって欲しいとやって来たボクサー志望の女性マギー(ヒラリー・スワンク)、
そして頑として断るダンを何とか取り成そうと仲介役を務める、元ボクサーでジムの居候の雑用係スクラップ(モーガン・フリーマン) と、このそろいもそろって家族に恵まれない孤独な三人の息の合い方が実によいのです。

脚本、演出のうまさと相まって、短時間の内にそれぞれの人物像がくっきり浮かび上がり、邪念がなく市井の人物でありながらボクシング 一途に生きて、いっそ高貴といいたいほど魅力的。
時にユーモラスに、そして細部をゆるがせにしない圧倒的なリアリティーをもって観るものを過酷でストイックなボクシングの世界へと 引き入れていきます。
特にマギーとフランキーのトレーニングシーンの格好良さは必見ですよ。

よく思うことなのですが、イーストウッドが主演すると映画の波長(?)が定まるといった感じがあります。
先だって放送された「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で彼自身も触れていましたが、基本的にイーストウッドは「聞く人」の演技 だと思うのですね。
いかにうまく語るか、に全てのエネルギーを傾けようとする俳優さんたちの中にあって、この持ち味に私はしびれるのですが、その「聞く 人」が何かを話すとき、一言一言が聞くものの胸に届くように思うのです。
内省という精神的な裏づけの重さあってこそでしょうが、今回も彼はフランキー・ダンと言う人物像を通してそれを体現しているかのよう です。

また今回は共演者も素晴らしく、ヒラリー・スワンクは直球勝負のピッチャーの様に力強く清清しくかわいい。そしてフランキーとマギー の出会いから最後までを慈悲深くじっと見守り語り部としての役を務めるモーガン・フリーマンも見事。

ところでこの映画は後半大きな転回(生易しいものではありません)があって、もしまだご覧になっていない方はここから読まれないほう がいいですね。できればまったく白紙の状態で第一回目は思いっきり打ちのめされてください(笑)
言葉を失うとはこういうことかと実感できるでしょう。
この衝撃は自分で思っている以上に深いところまでずしっとくるのですが、ただ不思議な事に翌日目が覚めるとまわりが明るく見える感じ がするのですね。
それはこの映画が背景にもつ倫理感、本物の成功論、そして信頼と言う絆の圧倒的な強さがあるからでしょうか。

そしてこの映画、二度三度と繰り返して観ると、如何に脚本がよく練られ細部まで考え抜かれているかということに気付かされます。
ある一つのシーン一つの言葉が、後のシーンの伏線、行動の手がかりになっていて、観直してみたときに後から気付く事がたくさんあるのですね。
イーストウッド監督は今回も、断念するという言葉が相応しいほどに抑制をかけ、結末が観る人の心の中に完結するという手法を使って いるので、途方もなく重いものを受け取ることになります。もっと言えばフランキー・ダンの心の慟哭さえも聞こえてくるような、、、

巧妙にもこの映画は前半がハリウッド映画、後半から文芸映画へと転換していくようなつくりになっていて、前半フランキーとスクラップ の二人が、やれ靴下の穴だとか漂白剤がどうしたこうしたと絶妙におかしい遣り取りをみせ、デンジャーくんという場違いに天然な青年の エピソードなどを織り込んでいきながら、マギーはどんどん強くなっていきます。
そして試合に勝ちはじめ、時折ハラハラさせるものの胸のすくようなKO勝ちを重ねていくので、ついつい観客もすっかり入り込んでしまい、 ラスト30分思いっきり衝撃をくらってしまうのですね。

うって変わって静の場面になるこの30分のリアリティー、正視できないような現実に向き合わされる思いがすると同時に、本物の魂の会話 が交わされて、かつて味わったことのない悲劇の痛切さというものを実感させられます。

それにしてもこうした作品がアメリカで作られ評価と成功を勝ち得るという現代、ジャンルでいうと、これは能でいうところの「負け修羅」 だと思うのですが、かすかに近松の心中物の匂いすら感じさせてこの味わいの奥深さを、まだ本国で一度も負けたことのないアメリカが ついに知るところとなったのかと感慨深いものがあります。

最後に、作品中フランキーは毎日アイリッシュ・カトリックの教会に通う敬虔な人―実際は神父にかなり疎まれている様子―として描かれ ているのですが、神父の言葉は完全にはフランキーの心を救いきれず救済の限界のようなものを感じたのですが、むしろこの133分の一本の 映画自体が、現代に再現された三人の名優による三位一体の宗教劇のように感じられるのが興味深いところでした。
そういえばイエス・キリストも布教わずか三年にして33歳で磔刑に処せられましたが、マギーの短いボクサー人生も年齢的に全く同じ設定 でした。

ある意味でマギーとフランキーは、悔恨や挫折、喪失感そして断念といったものを抱えて生きる人たちに捧げられた現代の聖像のようでも ありました。見守るスクラップの視線の何と厳粛にして慈悲に満ちていることか、、、

イーストウッド映画なので、またまた長くなってしまいました(笑)
駄文を書き並べてしまいましたが、とにかく素晴らしい映画、第一級文学作品に比肩する名作ではないかと思います。

では今回はこの辺で。


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